有事の際の「情報は受け取るが感情は受け取らない」というスタンス

2022年

この記事内で言う有事とは主にCOVID-19の事だけれども、私が今回の件で一番よかった、選択として正解だったと思っているのがこの「情報は受け取るが感情は受け取らない」ということだった。

あらゆる有事の際の情報チェックは多方面での生存という意味でとても大事だけれども、「他人の感情」という”情報であって情報じゃ無い”ものは極力視界から排除した方が良い、というのはめちゃくちゃ実感したところ。

だから今回の件においても「あ、これは自分のためにもここで離れるべきだな」と思った時点で対策した。断絶に近いレベルで。

2020年の3月末頃から早々にそのための対策を始めていて、とりあえずTwitterのメインのアカウントは見ず、ほぼCOVID-19の話題が流れてこないK-POPのアカウントだけを見るようにした。とはいえ真っ当な、淡々とした情報は必要なので、K-POPのアカウントにNHKやら首相官邸やらの「ただ情報だけを発信するアカウント」のリストを作成し、そこから状況チェックだけは出来るようにした。

これは、K-POPアカウントの所持者はおそらく皆別で本アカウントのようなものを持っており、K-POPアカウントではK-POPのことしか呟かない人がほとんど、という特性上成り立った環境だが、結果的にCOVID-19関連で流れてくるニュースといえば韓国の感染者数、隔離期間中の食糧物資情報、アイドル(芸能人)の感染情報といったものだけになった。それもたまにだけ。

所謂「情報」だけだったので、大変快適に日々を過ごすことができた。なおかつK-POPは元々オンラインコンテンツが充実していて供給プラットフォームが整備されているため、COVID-19拡大後も良い意味で変わりがなく、極力人の感情を受け取ることは減らし、楽しめる情報だけで日々を過ごせる環境になっていたことも大きい。

Twitterで広がった世界はたくさんあるけれど、付き合い方というか扱い方は常に考えた方がいいものだと、今回改めて思った。

誰かを悲しみの淵に追いやることもできれば救うこともできる場所でもあるけれども、救うことは自分の心が健康でないとできないので。出来ないどころか、逆に誰かを追い詰める場所にしてしまいかねない、とまで言えると思う。

まあ、人の心理として”ネガティブ要素に引っ張られてしまう”というのは、ヒトの長い歴史の中で得た生存本能が故に仕方がなく、そんな簡単にその本能に逆らうことは難しいのだけれども。

かつ、不安感を抱きやすいといったような所謂 神経症的傾向の度合いもひとそれぞれ違うので、皆がこんなふうにドライに考えられるわけではないのも理解している。し、この文を書いている私自身はメンタル鬼強側の人間だという自覚もあるので、だれかれ構わずに「こうすべきだ」と求める気持ちもない。

ただなんとなく、感情という情報を、もっというと情報そのものから遮断された日々を作るのも良いんじゃないかな、と思ったりし、実際にそういう日々が良いと実感したというのがこの約2年の心情です。

 

でじゃあどんな感じで過ごしてたん?というところだけれども、「情報は受け取る」というスタンスとは言いつつ、実際のところは情報もほぼ受け取っていなかった。

だから正直、感染者数の推移もほぼ知らない。緊急事態宣言やまん延防止措置法であったり、そういった状況から事態が良くなっているとか悪化しているとかという流れを把握していただけ。あと大きく事態が変われば仕事のMtg中の雑談とかで話題に上がるし、状況に応じて会社のあらゆる対応制限も変わるので、そういう状況から最低限の状況は知ることが出来る。

それ以外は、こういうマスクは意味がないよとか、飛沫感染するのかとか、自分が対策する側として必要なことはチェックしてた。おそらくあり得ないと思う人も居る(というか多数かも)しれないけど、本当にそんな感じで過ごしてた。

感染者数が増えても減ってもやるべきこととやれることはほぼ変わらないと思っていたので。

なるべく心を健康な状態を保ち、よく寝てよく食べ適度に運動をする、シンプルに健康で居ることが一番大事で一番防御になるとCOVID-19関係なく思っているので、その防御の効果を落とさないために情報をシャットアウトしていた感じです。

こんなような過ごし方をしていると、変化した生活スタイルの良い面にばかり目がいくようになる。結果的に「良い変化がをもたらした2年だったな」と思える毎日を過ごせたなと思う。

通勤時間という無駄な時間がなくなり、日々のじんわりとしたストレスが無くなったこと。新たに時間が増えたこと。

そして自宅で一人で仕事をするという環境が効率を上げてくれたし、Mtgもオンラインで全然成り立つという事実も出来た。社員から上層部の人まで一斉に在宅勤務を経験したことによって、オフィスに行かなくても仕事が成り立つことを全員が実感できたし、その仕事の仕方が快適だということもわかったので前の環境に戻るようなことも無くなった。(これは企業によるが)

会社近くの会費高めのジムではなく、近所の会費お安めだけど良い設備のジムに通えて時間もお金も節約出来てさらに生活満足度が上がった。

出社していた頃は昼食にお弁当を持っていっていたけれど、自宅で食べるようになってからはお弁当のように持っていける食べ物やその量に制約が無くなったので、より健康的な食事で日々を過ごせるようになった。

そして転職。仕事の合間に他のこともしやすくなったので、転職をするかどうかというところからじっくり考えることもできたし、仕事しつつ転職の準備も進められ、面接はオンラインなので最終面接微以外は仕事を休む必要も無かった。全部オンラインの世界になったから何もかもがめちゃくちゃやり易くなった。

近所に住んでいながら友人と会うことが憚られたことは辛かったけど、次第に会いやすい状況になってきてからはそこそこに会えたし、近所の店を色々開拓したり、思っていた以上に便利な場所だなと思って今住んでる場所がより好きになったりした。

そんな感じで、今ある状況のポジティブな側面が自分の生きやすい生活スタイルとマッチしていたので、色々あれど悪くない2年間だったなというのが今振り返って思うことです。

 

これはCOVID-19が出現する以前から思っていたことだけれど、私は120歳まで生きるという予定(またはじまったこの話)なので、そうするとあと88年の人生がある。

そうすれば天災、戦争、感染症は歴史的に考えて確実に経験し、かつ社会や生き方・価値観の変化の波の中で色んな意味で死なずに生きていく必要があるな、というのは常に思い考えていたので、予想の範囲内だった感はあったりした。

長期的な時間軸でどう生き延びるかをいつも考えていると、大体のことは「予想通りの出来事」になってしまうのである。

悲しくもこれから日本の未来はそんなに明るくないので、ホームレスになる可能性もあるよね〜とも、人生何があるかわからないので思ったりもするし、事前に思っておくと心持ちがなんとかなりそうだなと考えたりする。とりあえず万が一ホームレスになるようなことがあったら、ホームレスを脱した時点でホームレス生活記をコンテンツ化するところまでは考えています。

結局最後は私の120歳まで生きる計画の話になってしまいましたが、多分こういった契機を良い方向に活かせるかどうかが人生を左右すると思うので、何が必要で何が必要ではないか、足枷になるか、それを手放せるか、みたいなことは常に考えながら、同時に新しい何かを受け入れる許容も持ち合わせ続けていこうと思う次第です。

ということでこんな記事を書いた本日は期限ギリギリに取得した誕生日休暇でした!

ではでは。

コメント

タイトルとURLをコピーしました